2012年4月24日火曜日

プリキュアシリーズが徐々に路線変更していっている今、 「映画 ふたりはプリキュ...

プリキュアシリーズが徐々に路線変更していっている今、

「映画 ふたりはプリキュア Max Heart 2 雪空のともだち」や

イース(せつな(パッション))やダークプリキュアの要素に応用を加えて

「最初は敵側のダークプリキュアだったが後に味方側のプリキュアになる展開」や

「レギュラープリキュアの1人が心の弱さを漬け込まれて洗脳された事で

何話かの間、ダークプリキュアになる展開」をTVシリーズでやるのは

流石に無しだと思いますか? 意外とありだと思いますか?







「悪の戦士が正義の戦士に転じる」のは本シリーズはもちろん、英雄譚でもそう珍しいパターンではないので今後も試みられる機会はあると思います。

「正義の戦士が洗脳される」というのは憧憬を込めて視聴する児童の身になれば到底許容し難い状況で、ことに玩具展開を連動する内容でいうと難しいというより試みることがどれくらいの意義を持つのか?という疑問に通じてちょっと厳しいと思いますね。

既出の通り前後篇の大ピンチという方法論としての展開ならば『5』の絶望回がほぼ相当し今後もあり得ないではないと思いますが、数話に渡るとなると児童も辛抱しきれないでしょうし販促にも当然障ることになるので難しいでしょう。現に03年の実写版『セーラームーン』でこれを試み見事に幼児の視聴の剥離に貢献、その後の展開もありかの国民的ヒロインは忘却の彼方へと消え去った件もありましたしね(時を同じくして悪の怪物を文字通り「叩きのめす」少女ふたりが日曜朝に登場、幼児に大人気となってその後は言うまでもありませんがそれはまた別のお話・・・)。



視聴対象年齢を小学校高学年くらいまでに引き上げれば可能性はあると思いますが、未就学幼児が主賓ですと前後篇がギリギリだと思いますね。








「雪空のともだち」って映画だからできたことなんですよね。



地上波の年間約50話で行う場合は、たぶん2年くらいかけないと、なかなか理解され難いと思いますね。

悪〜正義になる場合でも、ものすごく時間を要すのはこれまでのプリキュアを見ればわかることですしね。



私個人は、うまく流れを作ればアリだと思います。



タブーとよくおっしゃるのですが、これは誰が作り上げたかというと、世の中の大人達なんです。

プリキュアスタッフはよく「大人の好きな話は作らない」とおっしゃる。

けれど、その裏返しを言えば「大人の嫌いな話も作る」ということ。ところが、現実は・・・。

雪空のともだちは私も拝見させて頂きました。私も涙なみだでした。けれど、それをいけないこととすること自体も正しいとは思わないんです。



プリキュアの出発点って「女の子だって」だったのに、「女の子だから」になっちゃいました。

「子どもが見たくない≠母親が見せたくない」と思います。



視聴者の支援あればこそでしょうが、現実は厳しいでしょうね。







前者はありですが、後者は無しです。

MHの時の映画でブラックVSホワイトの戦いを見て

それに「子どもが泣く」とクレームが付いて以来、

プリキュア同志が戦うのはタブーになっています。

そして、そのような展開があるなら、

プリキュア同志が戦うシチュエーションが避けられません。

私もそのような展開は嫌いなので、やらないで欲しいです。

特に、自分の好きなキャラクター同志が戦うことになったりすれば

毎回心を痛めながらプリキュアを見ることになるでしょうが、

そんなの耐えられません。悲しすぎます。

ストーリーとしては美味しいのだろうけど、これは大人の人だけじゃなくて

子どもにもあまり喜ばしくない展開だと思います。

だって、クレームつけたのは両親たちでも、泣いたのは子供です。

下手にそんな演出入れたりしたら、視聴率が下がりかねないです。







一週か二週でのエピソードならありかな。



シナリオ次第だね。







ありだと思います。

荒れ果てた大地に咲く一輪の花…ダークキュアブロッサム!!

なんちゃって!!







プリキュアプリキュア連発すなww

笑ってまうやろがいww

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